【プロフィール】
大学時代より父親(童話作家)の影響もあり、独学で作詞の勉強を始める。在学中よりすぎやまこういち氏に見出され、「ザ・ヒットパレード」「おとなの漫画」などのテレビ番組で、才能を発揮。以来多くの歌手の作詞を担当、現在も活躍中。ご子息も音楽プロデューサーとして近年注目され、特にMISIAの発掘は周知の事実。

♪橋本 淳 氏インタビュー♪
(作詞家)


 橋本淳氏と言えば、「青い瞳」や「ブルー・シャトウ」などブルー・コメッツの一連のヒット曲を世に出した作詞家の第一人者です。中でも井上氏とのゴールデンコンビによる曲の数々は橋本氏が手がけたブルコメの全27曲(シングル盤)中、11曲にものぼります(別表参照)。「氏なくしては、ブルコメの歴史は語れない」と言ってもよいでしょう。
今だから明かす「青い瞳」誕生秘話や、当時だから出来た信じられない仕事振りなど、約2時間にわたりお話いただきました。
 *尚、今回は長時間にわたっての取材でしたので、2回に分けて掲載させて頂きます。
(BCFC事務局)

インタビュー<後編>

♪「青い瞳」の大ヒット以後も、すぎやま先生と毎日を共にされていたのですか?
★はい。すぎやま先生のありとあらゆるアシスタントをするようになって、CMから、ヒットパレードの前身の「テレビ電話リクエスト」、そして「おとなの漫画」と、あの頃はほとんどフジTVの廊下で寝ていましたね(笑)。
 午前4時か5時に帰って、すぎやま先生は寝ないで作曲しているんですよ。僕も新婚なのに、全然家に帰れなかった(笑)。
 その上、先生の命令で「レコード会社の仕組みを学んで来い!!」と言われて、キングレコードの入社試験を受けたんです。受けたらこれがまた採用になって「社長室付秘書」にされた。でも先生の仕事も続けていたので、毎日、出社は寝不足の為に遅刻。しかも会社に着くとすぎやま先生のスケジュールが既に届いているんです。出社して5分後にはまたすぐにフジTVへ。しかし、キングのご好意で籍だけはおいていました。すぎやま先生の曲を売り込みにコロムビアにも行きました。
 そのうちに筒美京平も「僕も作曲したい。アレンジをすぎやま先生に習いたい」と言い出して、先生が寝ないで作曲している傍で彼も勉強して、翌朝寝ないでポリドールに出社していましたね。井上忠夫も、すぎさんに色々習ったのです。
 こうして、"すぎやまこういち"と言う人物を中心に、あるムーブメントが起こり、「青い瞳」の大ヒットまでにつながったのです。
 そして、ブルコメの後に、スパイダースが浜口庫之助の「夕陽が泣いている」をやってくれたので、よきライバルになりましたね。

♪コンビを組まれた井上忠夫氏の人間像を語って頂けますか?
★ 大ちゃんは常に不満分子でした。しかし、井上忠夫が「よし成功しよう!!やるからには何が何でも絶対に」と言って無理難題もぜんぶ飲んでメンバーを説得して引っ張った。「次はこういうのやろう」と、演歌好きのディレクターと演歌嫌いの大チャンの中庸な決断でした。自分の音楽の好みは横において、クレバーな彼は、何もかも分かっていながら泉さんの意見も聞き、事を着々と運んでいましたね。そういう「人物」でした。

♪ディスカッションも頻繁にされたと聞きますが……
★ディスカッションと言うよりは、ほとんど「喧嘩」でしたね(笑)。でも、とてもよかったのは、泉さんも受け入れ口は小さいけれど、「やる」と決まったらやるんですよ。決まるまでは大変!!決めると方針は曲げないタイプでしたね。
 ブルコメ・サウンドは泉さんが作ったんですよ。その頃は4チャンで編集など出来なかったのですが、泉さんは音楽をよく知っていたから、ブルコメらしい重厚な音を作ることに成功したのです。

♪今とは違う録音方法だったんですね。
★そうなんですよ。一つ違うと全部やり直し。ジャッキーがはずすと、三原がスネたりして、そうすると又、大ちゃんが間を取り持ったりしてね。昔のレコーディングは8時間くらいかかりましたからね。森岡賢一郎なんかがフルバンド・オーケストラでやると、もっとかかりましたね。大ちゃんは、いつどんな時でも、周囲に気を使って、ブルコメの「まとめ役」として努力していましたね。

♪他のメンバーとの思い出は何かありますか?
★僕は小田ちゃんのピアノがすごく好きでね。習いたいくらいだった。あのソフィスティケートされたピアノが素晴らしい。僕の心の中には、いつも「小田ちゃんを立てたいな」と思っていたけれど、どうしても三原のギターと大チャンのユニットが中心になってしまう。だから、ブルコメの三本柱に出来なかったのがずっと心残りでした。小田ちゃんの曲もいいですよね。
 本当は、オルガンやピアノのタッチを生かしたブルコメのもう一面を出したかったんですよ。もっとセンスのいい、昔のスイートな白人のジャズをね。でもそういう、僕の好みは商業主義の会社では取り上げて貰えませんでした。

♪逆に歌謡路線に走りましたよね。その時点で違和感を感じたファンも多くいましたがメンバー達は、どうだったのでしょうか?
★まあそれは、音楽やっている人と経営者との見解の違いでしょうね。つまりはブルコメの悲劇です。希望がなくなってしまいました。
 泉さんが歌謡曲路線を行く中で、「草原の輝き」のような、あの手のものに変えていきたいと大ちゃんと思っていました。しかし、筒美京平との「さよならのあとで」がヒットしちゃった!!青臭い青春ポップス歌謡をやればよかったけれど、一気に歌謡曲に走りましたね。
 やはり「歌は世につれ」で世の中の大勢に引きずられてまうんですね。ポップスに飽きると演歌。演歌に飽きるとポップスと言う、正反対のものの繰り返しが流行のパターンなんですね。
 ブルコメも大チャンクラスの人がもう1人いたらよかったのかも知れませんね。彼が1人で全てを背負っていたからね。ハードだったと思いますよ。でも侍気質というか男気のある人でしたね。洋子さんとのことも、あそこまで徹することが出来たのは「すごい男だったな」と思いますね。川村君と大ちゃんの葬式で「いや〜終わったね」と、つくづく言いました。

♪井上さんに最後に会われたのはいつ頃でしたか?
★亡くなる1年前に会いました。彼は最後は、ソロでレコード出していましたよね。もちろろん大ちゃんの世界なんだけど、もっと才能があるのにと思っていました。
 いいスタッフに恵まれなかったんだと思います。結局、洋子さんのことなど色々あるので、どんどん狭くなってしまって、せっかくの才能を生かしきれなかったんですよ。本当にショックな事件でしたが、これで洋子ちゃんから解放されてよかったのかも……とも思います。

♪ブルコメ再復活についてのご感想をお聞かせ下さい。
★小田ちゃんなどハモンドを使ってもっとやればいい、再復活なら小田ちゃん中心でやればいいと思います。老齢のGSとして、新しいことが出来ると思う。スターっぽいのはやんちゃな三原だからねぇ。彼が前面に立つと見世物っぽくなる危険性がありますね。小田ちゃんがサウンドを作ればいいと思います。昔のGSのイメージを捨てて、もっと線の細い今風のGSをやればいいのに。人間性も素晴らしいし……。それから時々、音程がフラット気味になる点が気になりますね。

♪最近、注目されているOJPCに関しては、何かご意見ございますか?
★加橋かつみに頼まれて、すぎやま先生との昔の曲をリメイクしたんですが……。それぞれの音はいいのですが、内容的にいま一つという気はしますね。
 田辺さんとか川村さん等が大会社を経営しているんだから、彼ら達がGSを回顧趣味だけでなく、もう少し音楽的に降り返って取り上げて欲しいと思います。

♪ブルコメの曲でお好きな曲はどれでしょうか?
★何と言っても、思い出深く、そして愛着があるのは、さきほどもお話した「青い瞳」ですね。
 あの出だしが何とも言えず好きですね。ハモンドの響きもいいしね。当時は「今日はどこ?」と聞いて、よくACBなどに通いましたよ。今だに一番聞くのはこの曲ですね。音楽的にも非常によく出来ています。ギターの入り方もいいし、期待感にあふれる曲ですよね。
 ビートルズほどとは言わないけれど、日本の広い意味でのポップスを歌謡曲の伝説として、金字塔のように誰かがいつも評価していて欲しいし、誰かがいつもそこに戻れるような価値もあると思うのです。「ダッタタターン」というドラムの入りは歴史に残る「日本のポップスの夜明け」ですよ。あれで、当時の音楽の世界が変わったくらいですから、もっと文化的な価値として打ち出して欲しかったなぁ。

♪「青い瞳」以外にお好きな曲はありますか?
★「草原の輝き」のサビが好きですね。その他には「生きるよろこびを」や「希望にみちた二人のために」もいいですね。反対に「白鳥の歌」はあまり好きでありません。
 ブルコメ以外では黒沢明とロス・プリモスの「ヘッドライト」(1969年 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)ですね。

♪それだけ素晴らしい内容を持つブルコメもGSの終焉には逆らえず、しかもその時期が早く来すぎた感がありましたが……。
★「30万枚を切ったらブルコメは終わり」と泉さんが当時、言っていました。各レコード会社では、スパイダース、テンプターズ、タイガースなどが活躍していました。
 GSブームに乗っていないレコード会社はビクターだったのです。ビクターにはIさんと言う森進一や青江美奈を育てた伝説のディレクターがいました。彼が「ビクターがGSブームを終わらせよう」とゴミのようなバンドを毎月10数組出したのです。粗製濫造で「下手」を一杯出して、今ある人気のGSを下手の中に埋めちゃおう。この意図的な計画の元に一気に崩れましたね。
 またコード進行をどんどん複雑にしていくと演奏が出来ない。音楽的な次へのジャンプが出来ない上に、ゴミバンドが出て来て、GS界が混沌としてしまったのです。時の流れで仕方ないと言えばそれまでですが、すごい目的で見事にダメになったのを目の当たりにして、「ああいう事が出来るンだ」と、その裏の世界に愕きました。

♪最後に、近年の音楽界全体について何かお感じになっていることはありますか?
★いつの世紀末においても人間の愚かさが吹き出て、その人間の荒廃感が新世紀に入って反省されるのが常ですね。世紀の初めには戦争があって人間のモラルが見直されるのです。宗教戦争もこの時に起こります。今まさに戦争の時ですよね。
 ちょうどこれからは、人間の原点を見るような暗い時代になると思いますね。夢は必ず冷めるから、その時に自分達の足元を見ないとね…。戦争になったら荒廃が始まる。その時に耐えられるような歌を作って行かなくてはと思います。
 本物のクラシックは聞く側に教養を要求されます。要求しないレベルでの接点で成立するセミクラシックがよいと思いますね。旋律のよさを子供に伝えたいですね。また、モーツァルトのリズムは現代につながることが多い。バッハも今聞いても非常にモダンですしね。
 我々が次世代に何を伝えて行くべきなのか……真剣に考え直す時が「今」なのではないでしょうか?

♪今日は、興味深いお話をたくさん聞かせて頂きましてありがとうございました。


2001.11.20 ホテルオークラにて取材 (BCFC事務局M・M記)


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※インタビューに登場する人名や当時の背景など、BCFC会員でもある志賀 邦洋 氏に補足説明をしていただきました。太字の人名等をクリックすると説明をご覧いただけます。本文とあわせてお読みください。






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