【プロフィール】
昭和37年 日本コロムビア(株)入社
平成5年6月取締役、平成9年6月常務取締役を経て、現在 常任顧問 A&R上席アドバイザー


♪泉 明良 氏インタビュー♪
(元ブルー・コメッツ レコーディング・ディレクター)


泉さんは、ブルー・コメッツの魅力をいち早く発見、迷うことなく世に出して、押しも押されぬトップグループに育てた名ディレクターです。氏の先見の明がなければ、現在のブルー・コメッツは存在しないと言っても過言ではありません。
ブルー・コメッツの他に、エミー・ジャクソン「涙の太陽」、いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、堺正章「さらば恋人」「街の灯り」、ヴィレッジシンガーズ「バラ色の雲」、黒沢年男「やすらぎ」「時には娼婦のように」、細川たかし「心のこり」など多くのミリオンセラーを企画され、その数は数百曲にも及んでいます。
出会いから、すでに30年以上も経った現在も、ブルコメのメンバーとはディレクターとミュージシャンと言う関係を越えた「よき友人」だそうです。
現在もメンバーが敬愛の念を抱いている氏に、色々な思い出を語って頂きました。


♪まず、ブルー・コメッツとの出会いからお聞きしたいのですが
★当時(昭和30年代後半)私は洋楽のカバーものをやっていました。エレキが流行ってきて、ベンチャーズサウンドが人気でした。そこで質の高い演奏が出来るバンドを探していたのです。ちょうどその時、ウェスタンカーニバルでの彼らの演奏を聞いて、一発で気に入りましたね。
で、会社に来てもらって、オーディションなどもなしに、トントン拍子に話がまとまり、「ヘルプ・ミー・ロンダ」などが入っている「グランド・ヒットパレード」を昭和40年に出したのです。それからエミー・ジャクソンの曲も手がけるようになりました。

♪その時の「歌わせろ」事件は有名ですね。
★当時、CBS文芸部は洋楽部に所属していて、国内録音盤による日本語の歌は制作することが出来ませんでした。吹き込み当日になって「歌わせろ」「いや歌わせない」でかなり揉めましたが、結局、ブルコメの熱意に負けて歌を入れることになったのです。その時の出来が素晴らしかったので、次のオリジナル曲へと発展したのです。

♪それは「青い瞳」が世に出る前のことですね。「青い瞳」は最初、聞かれてどのように思われましたか?
★同じ頃に「オリジナル曲があるから聞いて欲しい」と持って来たのが「青い瞳」でした。
最初は「あっそう」と言って適当に預かっていたんですよ(笑)。しかし、その時も大ちゃんがリーダー的存在で、熱っぽくコーラスの件も語っていましたね。

♪井上氏は、現役の頃はどんな感じでしたか?かなり主張も強かったと聞いていますが…
★確かに、音楽に対する主張ははっきりしていましたね。しかし、それよりも優れていたのは、常に楽曲を商品と考え、どうすれば売れるか、大衆に受け入れられるかなどと言う点で広範囲にマーケティングの研究をしていたことですね。時代の求めるものと、音楽との接点を常に模索していました。その洞察力には天才的なものがありましたね。

♪歌謡路線にだんだん切り替わって行く段階でも、井上さんの意向が強かったのでしょうか?
★いえ、これは私やメンバーとの意見が一致した結果です。GSが下火になってきた中で、どうしたら「生き延びることが出来るか」を考えた時に、あの選択しかありませんでした。
三原君は少し、抵抗感があったようですが、ブルコメ全体としては、ほぼ同じスタンスで路線変更できたことは、今でも正解だったと思っています。

♪泉さんがブルコメの曲を手がけられて、次々とヒット曲の出現となった訳ですが、当時、グループバンドのディレクターとして気を使われたことはありますか?
川村さん(元マネージャー・前回インタビュー)は、音楽的なことは一切口出しせず、全面的に私に任せてくれました。そして、私の好みとその時代がマッチしたので、ヒット曲が色々と生まれたんだと思います。
グループとして心がけていたのは、井上氏の曲ばかりになるとチームワークが取れなくなります。必ずB面には小田さんや三原君の曲を入れていました。また全員のオリジナル曲は、アルバムで発表したりしていましたね。

♪数あるヒット曲で、一番好きな曲と言われたらどれを選ばれますか?
★うーん。難しい質問ですね。でもやっぱり大ちゃんのは「ブルー・シャトウ」かなぁ。小田さんの曲では「甘いお話」、三原君のは「雨の赤坂」が好きですね。

♪橋本淳さんとのコンビもよかったのではないでしょうか?
★そうなんですよ。橋本さんの力は大きかったと思いますよ。大チャンは先ほども言いましたが、はっきりした主張を持っていたけれど、他の意見も聞いて、しかもそれらをちゃんと計算した上で、ブルコメの方向性として考えていた。その際の橋本淳さんの適切なアドバイスが、かなり生きていましたね。よく3人で、納得がいくまでディスカッションしましたよ。

♪座長としてのジャッキーさんは、どんな感じでしたか?
★彼ら達が今でも仲がよいのは、座長がいいからでしょう。彼は、あまりメンバーに対しても細かいことは言わず、大きな包容力でまとめていましたね。そして、メンバーもちゃんとジャッキーを立てていますよね。このごく自然な関係が、今でも長続きしている所以なんだと思います。

♪レコーディングの時の思い出などありましたら、聞かせて下さい。
★ブルコメは、どんな時もやさしく誰にでも分かるハーモニー進行を心がけていましたね。「とにかくやさしく」が彼らの口癖でしたから…だから売れたんだと思います。
でも全盛期の頃は、とにかく眠る時間もないくらいでしょう。レコーディングするのにもなかなか、十分な練習時間が取れないこともありましたよ。
そんな時、私は普段は友達感覚で接していましたが、こと音楽に関しては、心を鬼に して強く言いましたね。「レコードが命なんだよ。まずいいレコードを出してこそ、新聞やテレビで取り上げられて、仕事にも繋がるんだから…それには、緻密な練習が先決なんだ」とね。

♪泉さんは、ブルコメ以外にも色々なミュージシャンの曲を手がけられましたよね。
★そうですね。でもブルー・コメッツに、今でも感謝しているのは、彼らとの時代に随分と勉強させて貰ったということです。「ディレクターの基礎」をしっかり学ぶことが出来たから、自信もついてその後の成功にも繋がったと思います。
ヨーロッパやアメリカ公演、そして地方でのコンサートなど、たくさん楽しい思い出がありますよ。

♪ブルコメ以外のGSもプロデュースなさっていたのですか?
★ヴィレッジシンガーズだけですね。とにかく技術的にレベルの高いブルコメを最初に聞いてしまったので、他はどうも物足りなくなってしまって…。それで他のグループの仕事をしなかったのが、私の失敗です(笑)。

♪先日の東京でのライブをご覧になっての感想を聞かせて下さい。
★さすがに今でも、サウンドはしっかりしているし、迫力もあるし、よかったですね。昼の部だけで帰ろうかと思っていたのに、ついつい夜の部まで聞いてしまいましたよ。夜の部が、これが凄かったですね。秀逸の出来だったと思います。
今後は、歌唱面で、もう少しハーモニーのバランスを研究するとよいと思いました。

♪今後のブルー・コメッツに期待することは、どんなことでしょうか?
★ワイルドワンズのように、昔のメンバーが集まって楽しく演奏することは、本当に素晴らしいと思いますね。大ちゃん以外の4人は、以前から「もう一度やってみたい」と言っていましたから、是非これからも、演奏活動を続けて欲しいと思います。
そして、オリジナル曲も作って、ステージで発表して欲しいと思います。それが、次第に評判を呼んで、レコーディングが実現するとも限りませんからね。夢は大きく持って欲しいと思いますね。

♪現在はどのようなお仕事をされていらっしゃいますか? また今の音楽業界について何か感じていらっしゃることはありますか?
★今でも、制作部のアドバイザーとして、音楽作りに関わっています。現在のレコーディングはマルチ化されて、全てが機械的です。歌とその他の音は別々に録る訳で、どんなメロディーか分からないまま演奏していることもあります。
確かに、技術が進歩して精巧な音の再現は可能になりましたが、昔のように一斉に演奏して録音するやり方の方が、雰囲気は伝わりましたね。例え、少々のミスタッチがあったとしても、何か演奏者の「心」というか、温かみが聞き手の「心」をも揺さぶるような…そんな魅力がありましたね。

♪最近のミュージシャンについてのご感想は?
★近頃の若い人達はかなりテクニックもあり、何でもこなして器用すぎる点もありますね。しかし、厳しい言い方をすれば、どれもみんな同じ感じ。これと言った「個性」がないんですね。自分の個性を大切にしてそれを伸ばして欲しいですね。

♪今日は色々と聞かせて頂きましてありがとうございました。

2001.10.25 日本コロムビア(株)本社にて取材 (BCFC事務局)





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