【プロフィール】
・元大橋プロダクション
 ブルー・コメッツ
 マネージャー
・現在
(株)アワーソングス
(株)Kダッシュ
(株)田辺音楽出版
  代表取締役会長
 
♪川村 龍夫 氏インタビュー♪
(元ブルー・コメッツ マネージャー)


 川村龍夫さんは、ブルー・コメッツを音楽界のトップクラスにまで育てた敏腕マネージャーでした。当時は小さなプロダクションの一部屋から生まれたブルー・コメッツと、レコード大賞を取るまでの長い道のりを寝食を共にされた数年間でした。
 現在も音楽出版社やプロダクションなどを経営され、幅広くクリエイティブな分野でご活躍を続けられ、「芸能界で氏の名前を知らぬ者は皆無」と言われるほど、業界の重鎮として偉大な力を発揮していらっしゃいます。
 お忙しい合間に、インタビューに応じて頂きました。


♪まずブルー・コメッツとの出会いについてお話いただけますか?
★ 鹿内タカシのバックバンドをやっていたのがブルー・コメッツでした。僕と鹿内とは同級生でね。その辺が最初の出会いかなぁ。 
ブルー・コメッツが今日あるのは、音楽の基本的なことに関しては、鹿内タカシのバ ックバンドをやって学んだことが一番大きいでしょうね。こういう出会いがなかったら、ただのバンドで終わったかも知れませんね。
当時の他のグループサウンズとは全然違う、ハーモニーやメロディラインをつけられたという事は、この時代に培われた基礎力のたまものですよ。

♪今でもメンバーの方々から「鹿内氏にはすごくしごかれた」と聞きますが、具体的にはどんな感じだったのでしょうか?
★ 三原君など「ギターって言うのはこうやって弾くんだっ」と厳しいレッスンの果てにギターを投げつけられたりしてましたね。またジャッキーが「鹿内さん聞いて下さい」とドラムソロをやると、「おまえのはチーチキチーチキがインチキインチキに聞こえるんだよ。バカ野郎!」なんて怒鳴られてましたよ(笑)。
でもね。レッスンの後は六本木の喫茶店に連れて行って、自腹を切って食事をさせて、車代も渡して帰してましたよ。やはりすごい人でしたね。鹿内氏は……そして純粋に音楽を愛していましたね。その姿を見ながら、ブルー・コメッツは育ったのです。

♪それこそ今でもメンバーにとっては「神様」的な存在のようですね。
★ そうね。僕にとっても、いい出会いでしたよ。マネージャーの基本から身につけましたからね。何でもそうですが、教わると言うより自分で覚えていくことですけれどね。学ぶことが非常に多くて中身の濃い数年間でしたね。

♪マネージャー時代の思い出と言いますと、どんなことでしょうか?
★ それこそたくさんあり過ぎますが、何と言っても一番の思い出は「レコード大賞」を取ったことですよ。当時は教育委員会からも「グループサウンズは不良少年のたまり場だ」とスポイルされていましたからね。その時に僕は、メディアと組んで仕事をしました。
他のグループサウンズは全国公演が出来なったけれど、ブルー・コメッツだけは出来たんです。それは今と同じようにテレビや新聞などメディアと組んで宣伝し、それが信用を生み、NHKにも出られた……そういう戦略が成功したんだと思います。新聞にたくさん出れば、それ自体がすごい宣伝ですし、当然レコードも売れましたからね。

♪それはひとえにに川村さんの力量によるところが大きかったのでしょうね。
★ 当時は無我夢中で「どうしたらいいか」といつも考えてましたね。地方公演などでは、興行主との交渉が当然とされていました。大きなプロダクションは歴史があるだけに、色々なしがらみがありますが、僕達はそういうのがなかったですからね。ブルー・コメッツは「新しい音楽」でしたから、僕自身もそういうしがらみ的なものを絶ち切ってやりました。その意味でもラッキーだったと言えますね。

♪この度、ブルー・コメッツが復活しましたが、そのことに関しての期待や激励のお言葉などありましたらお聞かせ下さい。
★ 音楽は永遠ですから、楽しくみんなの期待を裏切らないような良い思い出を作って行って欲しいと思いますね。表現力は歳と共に変わって来て、また聞き手側も変わって来ている訳ですから……もしかしたらお嫁さんやお孫さんを連れて聞きにみえる方もあるかも知れませんよね。微笑ましくていいと思うなぁ。非常にメロディアスなグループですからね。無理せずにやって行けばいいと思いますよ。

♪4人編成になって、確かに大変な面があるようですが、この点はどのようにお考えでしょうか?
★ そうですね。でもメロディは変わらない訳ですから。ハーモニーをつけようとすると大変かも知れませんが……。ここは三原君に頑張って貰いたいですね。そして高橋さんやジャッキーさんが歌ったりしてもいいじゃないですか。全員が歌うことによって、聞き手に新たな思いが伝わるかも知れませんよ。無理にハーモニーをつけようとせずに、それぞれがソロシンガーとしてやれば、結構おもしろいと思うんですよ。大輔とは違う味が出るかも知れないね。

♪ファンクラブもブルコメ復活と同時に再編されました。この点はどのようにご覧になっていらっしゃいますか?
★ ファンクラブはブルー・コメッツと同じように、青春の思い出をずっと持ち続けられると言うことは、僕はむしろ羨ましいと思いますね。「生きがいと楽しさ」があるでしょう。35年経っても、何の違和感もなく皆さんが集まれたということは、素晴らしいですよね。これには阿部さんの言動力も大きいと思いますよ。あの人が学生時代からやっていたこと、それが今でも変わらぬ情熱となって続いているんですから、その存在はすごく大きいですね。
そして皆さん主婦だったり、お仕事を持ったりしているので、とにかく無理せずに続けていくことが大事ですね。がむしゃらに何でもしようとせずに、出来る範囲でやって行って欲しいですね。
このようなファンクラブ再編というケースは非常に珍しいことだと思いますので、是非、細く長く彼らを応援して行って欲しいと元マネージャーとしても、願っていることです。そして、こうしていつまでもファンの温かい心に支えられているメンバー達は、幸せ者だと思います。

♪ブルー・コメッツ公式サイト開設に際してのコメントを頂けますか?
★ これは大変、有意義なことだと思いますね。パソコンをやっていない人も、この開設がきっかけで見るようになるかも知れないし、少なくとも100万以上のレコードが売れたグループですから、昔の思い出を持っている人達にとっては「楽しさ」が一つ増えると思います。一般的な人気アーティストとは質が違いますからね。昔を知っている人にとっては「楽しみ」でもあるし、同時「価値」のあるものになると思います。ですから、これもずっと末永く続けて欲しいですね。

♪現在はどのようなお仕事をされていらっしゃいますか?また芸能界の昔と今ではどんな点が変わって来ているでしょうか?
★ 今でも「新人発掘」に尽力していますが楽しいですよ。僕の場合は若い女の子より男性が多いですね。男性を見つけるのは絶対の自信がありますよ。
芸能界は変わりましたね。音楽だけでなく、スポーツにしても全てに変わったと思います。音楽の根本は変わっていませんが、飛びぬけたスーパースターが出にくくなって来ていますね。それでも宇多田ヒカルなどの出現は素晴らしいけれど、男のビッグアーティストが欲しいね。演歌が低迷している原因もそうですよ。美空ひばり以来、スーパースターがいない。スターが出てくれば、音楽界の流れも変わるんですけれどね。

♪それは何が原因なのでしょうか?
★ 時代が変わってきているということ。人気アーティストはテレビに出なくなったしね。昔は「テレビに出たい」が普通だったけれど、今はテレビに出なくても売れる時代ですからね。
800万枚も売れるということは、昔なら夢のまた夢でしたよ。ブルコメは100万枚売れて10年持ちましたが、今は800万売れても1年間しか持たない。非常にサイクルが早くなってますね。日本人の気質がまさに表れている業界ですよ。出やすいこともあれば消えやすいことも確かです。

♪マネージャー業に関しては如何でしょうか?

★ これはすごく変わりましたよ。まず今は苦労というのがありませんからね。昔はアパートのひと間から始まったものですが、今は最初からビルですよ。しかも会社組織ですから、入社すればすぐに給料もボーナスもあるし……だからスーパー・マネージャーが出にくくなって来ましたね。しかし、若い人の中にも逸材はいますよ。

♪今の若い世代にとってのブルー・コメッツの存在感はどんな点にあると思われますか?
★ 小田さんも音楽教室で若い人を育てているでしょう。そしてブルー・コメッツのステージを見に来たお孫さん世代の中から、新しい人材が育つかも知れませんよね。自分達が鹿内氏に育てられたように、今度はブルー・コメッツが若い世代を引っ張っていって、優れたミュージシャンを育成していく立場にあると思いますよ。またそれだけの技術と経験を持っている人達ですし、若い人達に「基礎の大切さ」をしっかりと伝えて欲しいものです。

♪10月に行われる「東京ライブ」にはどのようなことを期待されていますか?
★ みんな復活して、どんどん若返っちゃうね。4人でやる以外にゲストプレーヤーを入れてもいいでしょうね。毎回、違った人にゲスト出演してもらうのも楽しいじゃないですか。尾藤君にしても鹿内君にしても一緒にやって欲しいですね。三原君もバンドリーダーをやっているんですから、彼が声をかけたら気軽に来てくれる人がいるかも知れませんよ。色々な可能性がありますよ。老け込むにはまだまだ早いですから……(笑)。大いに期待しています。

♪今日はお忙しいところをありがとうございました。

2001.08.29 田辺音楽出版にて取材 (BCFC事務局M・M記)





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